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最高裁判所第二小法廷 昭和32年(オ)817号 判決

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人吉本英雄、同高島信之の上告理由第一点の(一)、(二)について。

船の停泊時における方位測定の目的が錨地の安全性を確かめるとともに投錨後における船の位置の移動の有無を知ることにあること、従つてこの目的を達するためには同一地物を対象として方位を測定することがもつとも容易かつ便利であることは自明のことがらであるから、原審が、特段の事情のない本件においては、その容易かつ便利な方法が選ばれたものと推定すべきであるとしたことは相当である。かように、裁判官の通常の知識により認識し得べき推定法則の如きは、その認識のためにとくに鑑定等の特別の証拠調を要するものではなく、またかかる推定の生ずる根拠につきとくに説示することを要するものではない。そして、原審は、右のような方位測定の目的と甲一号証の午前四時における甲船の方位照合記載に対象地物の表示がないこととを綜合して、右甲号証の方位照合記載は従前と同一地物を対象としてなされたものである旨を認定したものと解すべきであつて、右認定は相当である。所論は、右に反する独自の見解の下に原審の事実認定を攻撃するものであつて、すべて採用のかぎりでない。

同第一点の(三)乃至(五)について。

原審は、船の位置の移動は船橋を基準として判断さるべきものであること、船橋とアンカー・ホールとの距離、錨の長さ、方位測定に伴う通常の誤差等の諸点を考慮に容れた上で、これらの諸点を考慮に容れても、なお、時間の推移による潮流の変化が正確に諸のとおりにおこり、錨が所論のように緊張したままで最大限の半径をえがいて甲船が一回転したとみることは不自然であり、当日午後一時における甲船の位置は、やはり、甲二三号証記載の位置とみるのが自然であるとの判断をしたものと解すべきである。原審の右判断が不合理で経験則に反するといい得るものではなく、所論は、時間の推移による潮流の変化が正確に所論のとおりにおこつたこと、錨が緊張したままで最大限の半径をえがいて甲船が一回転したこと等、要するに原審の認めない事実を前提として原審の判断を非難するものであつて、採用のかぎりでない。

同第一点の(六)について。

当日午後一時における甲船の位置につき甲一号証の記載を正確とする所論の採り得ないことは前述のとおりである。また、同船の出発時の針路の認定につきコース・レコーダア(甲二号証)の表示を認定資料としたことが違法でないことは後(第二点の(二))に述べるとおりであり、同船が出発時の針路を正確に五番ブイを正船首に見る方向にとつたとの事実は、原審の認めないところである。そして、出発時における甲船の位置の認定につき錨の巻上に伴う移動を考慮に容れるべきであることは所論のとおりであるが、かように、当然考慮すべき事項は、原審もこれを考慮に容れた上で甲船の出発時の位置を認定したものと解すべきであるのみならず、所論が錨の巻上に伴う移動前の甲船の位置として前提とする当日午後一時における同船の位置自体が方位測定に伴う通常の誤差を含み得る地点であること、同船の出発時の位置に関する原審の認定が「外防波堤北灯から一〇四度、四〇〇米ばかり」という余裕をもたせた認定であること、午後一時と出発時との間に甲船が多少移動し錨の巻上により再び午後一時の位置に接近したという可能性も考えられること、以上の諸点を綜合して考えれば、原審認定の甲船の出発時の位置が海図上午後一時の位置と接近しているということだけで、右認定が錨の巻上に伴う船位の移動を考慮に容れない不合理な認定であるとして攻撃することはできないものというべきである。所論は、要するに、原審の認めない事実関係を前提として、原審の事実認定を攻撃するに帰し、すべて採用し得ない。

同第二点の(一)について。

原審は、上告人が水先人として甲船の針路を二七〇度にとるべきことを号令し、その結果同船が二七〇度の針路をとつた旨の事実を認定したものであつて、右認定に反する所論の事実は原審の認めないところである。原審挙示の証拠により原審の如く認定することは不可能でなく、所論は、原審の事実認定を攻撃するものであるか、又は証拠の取捨選択を非難するに帰し採用し得ない。

同第二点の(二)について。

所論の点だけからコース・レコーダアの表示が精密に一度だけ右に片寄つていると断定することはできないのみならず、原審は、甲船の針路とその他の証拠及びこれらの証拠により認められる事実関係とを綜合して両船の衝突地点を認定する上において、甲船の針路を、一、二度の誤差を争うほど精密に認定することは必ずしも必要でないとの見地に立ち、コース・レコーダアの表示が一、二度の誤差を含み得るとの前提の下に、右表示を甲船の針路認定の一資料として採用したものと解すべきである。原審の判断は相当であり、所論はコース・レコーダアの表示が精密に一度だけ右に片寄つているとの原審の認めない事実を前提とするものであつて、採用し得ない。

同第二点の(三)について。

所論指摘の原判示部分は、原判示のような諸条件を考慮に容れて船がたえず一定の針路をとるように進航方向を修正しつつ進航するものであるとの趣旨と解され、原審が右諸条件を考慮に容れて甲船が船首を多少左右に振りつつ二七〇度の針路を進航した旨認定したことは相当であつて、原判決に諸のような違法があるということはできない。

同第二点の(四)について。

仮に、海図上所論の操作により所論の結果がでるものとしても、原審認定の甲船の出発地点も両船の衝突地点も、ともに「……ばかり」の地点という概数的な認定であること、船の実際の進路は必ずしもコンパスにより認定した針路と精密に一致するものでないこと等を考慮すれば、海図上所論の操作により所論の結果がでるということだけで、ただちに原審の判断が不合理で、その認定にくい違いがあるとして非難し得べきものではないから、所論は採用し得ない。

同第三点の(一)について。

所論は、要するに、証拠の取捨選択を非難するものであつて、採用し得ない。

同第三点の(二)について。

原審認定の両船の衝突地点、乙船の針路は、ともに概数的な認定であることにかんがみれば、海図上所論の程度の誤差が現われるということだけで、ただちに、原審の判断が矛盾を含むとして非難し得べきものではないから、所論は採用のかぎりでない。

同第四点の(一)について。

原判決に「外防波堤灯台から一〇七度、二五五〇米の地点」とあるは、「外防波堤紅灯台から一〇七度、二五五〇米の地点」の趣旨であることは、判文の前後を通読すればおのずから明らかである。また、原審が丙船の位置の決定につきとるべきものとした二つの交さ方位は、ともに当日午後二時四二分にとられたものであり、右交さ方位により決定された同時刻における丙船の位置と、当日午後四時二五分における丙船の位置として原審の認定した地点との間には、ほぼ所論の距離の距りがあり、この距りが生じた理由につき原審が何等説明していないことは所論のとおりであるが、原審は、その是認した審判庁の裁決において考慮された事情(原判決中被告の答弁(四)の(ロ)記載の事情)を考慮に容れた上で、当日午後二時四二分における位置と若干の距りのある午後四時二五分の位置を認定したものと解すべきである。それ故、所論の非難は、すべて当らないものというべきである。

同第四点の(二)について。

最も近い距離からとられた、しかも直角に最も近い角度で交わる二つの方位の交さ点をとることにより、船位測定上の誤差を最小限度にくい止め得ることは見やすい道理であり(かような船位測定方法が唯一の方法であるかどうか、若しくは原審の認定するように通常とられる方法であるかどうかはともかくとして)かような方法がともかく船位測定方法として一応合理的のものであることは、裁判官の通常の知識をもつて首肯し得るところである。他面、所論の主張する方法も、三角形乃至四角形の内包面積がさして大でないような場合を考えれば、その中心点をとることは誤差を最小限度にくい止める実際的方法として一応合理的のものであることも(この方法が論旨の主張するように海事実務家によつて通常とられる方法であるかどうかはともかく)裁判官の通常の知識をもつて首肯し得るところである。かように、船位測定につき一応合理性の認められる二つの方法が考えられる場合、いずれの方法を採用するかは事実審たる原審の裁量に任されているものと解すべきであり、原審が前の方法を採用した場合に、他にも船位測定方法として一応合理的と認められる方法が存在するということだけで、ただちに、原審の事実認定を経験則に反するものとして攻撃し得べきものではない。所論は、所論の方法が船位測定の合理的方法として唯一のものであることを前提として原審の事実認定を非難するものであつて、採用のかぎりでない。

同第五点の(一)について。

原審は、検証の結果とその他の証拠及びこれに認定された事実関係とを綜合して“N.Breakwater Red Light”を「外防波堤北(紅)灯台」と認定したものであり、右認定が不合理で経験則に反するといい得ないことは明らかである。なお、原審は、“Red Light”(紅灯)をとくに紅灯台と区別する意味でことさらに「外防波堤紅灯台」と認定したものとは解されず、原判決にいう「外防波堤紅灯台」とは、ひつきよう、同灯台の灯を指すものと解すべきである。それ故、所論は、すべて採用し得ない。

同第五点の(二)について。

原審認定のような状況の下で、原審が甲二九号証を採用しなかつたことは採証法則に反するといい得るものではない。所論は、原審の専権に属する証拠の取捨選択を非難するものであつて、採用のかぎりでない。

同第五点の(三)について。

所論は、甲船の出発地点、針路、潮流の変化状態、風向その他の諸条件が所論のとおりであることを前提として原審の事実認定を非難するものであるが、所論の前提とする諸条件は原審の認めないところである。所論は、要するに、原審の認めない事実関係を前提として原判決を非難するものであつて、採用のかぎりでない。

同第五点の(四)について。

所論は、原審において上告人本人尋問の結果、甲一四号証の二及び甲一五号証の二その他の証拠により甲船が衝突後二分の間に所論のとおり正確に北方に約七五米乃至一〇〇米移動したという事実が認められることを前提とするものであるが、原審は、これらの証拠をもつてしては、衝突後二分の間に所論のように正確に北方に七五米乃至一〇〇米移動したとの事実は認むるに足りないと判断したものと解すべきであり、原審がかく判断したことがとくに不合理であるとは認められない。また、所論の方法により衝突一時間後に中川次男のとつた方位による船位を海図上に現わしてみると、この地点と衝突二分後の地点との間に海図上ほぼ所論の距りがあることは所論のとおりである。しかし、方位測定に伴う通常の誤差を考慮に容れれば、衝突二分後の地点と一時間後の地点との距りは、実際にはこれより近かつたと解し得ないでもなく、このことと、甲船が衝突直前機関を停止し、左舷錨を投じ、錨三節を延出し、午後八時頃まで投錨のままであつたこと、甲船の船橋と甲船とアンカ・ホールとの距離が五〇米あること、衝突後乙船の全速後進により甲船が回頭しつつあつたこと等の諸般の情況を総合考察すれば、甲船は衝突後さして錨を引きずることなく、投錨地点を中心として回頭しつつ一時間後の位置に移動したと考えてもさして不合理ではなく、原審も、この見地に立つて衝突一時間後に中川次男のとつた方位を衝突地点の認定のための資料として採るべきものと判断したものと解すべきである。されば、所論の方法により海図上現わされた衝突二分後の地点と衝突一時間後の地点との距離が海図上三〇〇米あるということだけで、ただちに右原審の判断が不合理で経験則に反するということはできないものといわねばならない。所論は、結局、原審の証拠の取捨選択を非難するものであるか、又は原審の認めない事実の存在を仮定して原審の認定を攻撃するに帰し、すべて採用し難いものである。

同第五点の(五)について。

そのとり得ないことは、上告理由第五点の(四)及び同第二点の(四)に対する判断において上述したとおりである。

同第五点の(六)について。

原審の衝突地点の認定が「……ばかり」という余裕をもたせた認定であること、衝突二分後にとられた交さ方位がまた方位測定上の通常の誤差を含み得るものであることを考慮に容れて考えれば、海図上に現わされた両地点の関係位置が所論の如くであるということだけで、ただちに原審の衝突地点の認定が衝突後の回頭移動の事実をまつたく考慮に容れないでなされた不合理な認定であるというのは当らないものというべきである。かえつて、原審は、衝突後の回頭移動の事実をも考慮に容れた上で原審認定の地点を衝突地点と認定したものと解すべきであり、ただ、衝突二分後の甲船の回頭移動の距離と方向とが右方(真北)に七五米乃至一〇〇米であつたとの事実は認めなかつたに過ぎない。所論は、ひつきよう、甲船が右方(真北)に七五米乃至一〇〇米移動したとの事実を原審が認めなかつたことを非難するに帰し、その採り得ないことは前述のとおりである。

同第七点の(一)について。

所論は、衝突地点が航路内であるということ(原審の認めない事実)を前提とするものであつて、採用のかぎりでない。

同第七点の(二)について。

原判決は、「見合関係は丙船通過前すでに発生していたことを認めることができる」旨を判示しており、右趣旨は、丙船通過前に甲乙両船がそのまま進行すれば衝突の虞があるものと認むべき両船の視認関係がすでに発生していたことを認定した趣旨と解される。そして、海上衝突予防法一九条の適用を肯定するためには、右判示をもつて足り、右状態を生じた時刻、場所をこれ以上具体的に確定することは必要でないものと解すべきであるから、所論は採用のかぎりでない。

同第七点の(三)について。

原審は、「見合関係」の意義を「両船が互に針路を横切り衝突の虞があると認むべき両船相互間の視認関係」の趣旨に解した上で、右見合関係は、甲乙両船が丙船を通過する以前にすでに発生していた旨を判示したものであることは前述のとおりである。そして、右の意味における見合関係とは、具体的な当事者が実際に衝突の危険を認めた関係を意味するものではなく、注意深い船長(又は水先人)が注意していたとすれば衝突の危険があるものと認むべき関係を指すものと解すべきであるから、所論の乙一〇号証は、この意味の見合関係が丙船通過前にすでに発生していたと認めることの妨げとなるものではない。

次に、原審の右認定事実によれば、丙船を通過する前にすでに甲船の避譲義務、すなわち乙船の側で臨機の避譲措置をとらなければ衝突を避けられないような緊急状態となる前の適当な時期に甲船の側で避譲措置を講ずべき義務が確定していたことは明らかであるから、乙船が臨機の避譲措置をとらざるを得なくなつたのは、甲船の義務違背に基くものというべきである。この点にかんがみれば、原審が衝突の原因として甲船の側の過失を重視したことは当然というべきである。

さらに、港則法一七条は、防波堤、停泊船舶の向う側を望見できず、その蔭から出て来るかも知れない船との出会い頭の衝突を避ける必要がある場合にその適用があるのはもちろん、その他これらの障害物ごし(防波堤、停泊船舶が低い場合)に相手方船の行動を望見し得る場合、又は相手方船がこれらの障害物の蔭にかくれる前にすでに望見し得ていたような場合であつても、自船がこれら障害物を回航する針路をとつている場合等には、港則法一七条の適用があるものと解すべきであり、原審が同条の適用があるのは出会い頭の衝突を避ける必要がある場合にかぎるが如く判示したのは、正確を欠くうらみがある。しかし、原審認定の状況によれば、本件の場合は、同条の適用があるとされる右いずれの場合にも当らず、しかも、海上衝突予防法一九条の航法により衝突を避けることは十分可能の状況にあつたと認められるから、原審が港則法一七条の適用を否定し、海上衝突予防法一九条の適用を肯定したことは相当である。

それ故、所論は、すべて採用し難いものである。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤田八郎 裁判官 池田克 裁判官 奥野健一 裁判官 山田作之助)

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